兼田 敏 Bin Kaneda

Profile
作曲家 兼田敏のポートレート
作曲家 兼田敏(Bin Kaneda)

1935年、旧満州生まれ。
 京都市立上京中学校で吹奏楽と出会い、コルネットを演奏する。その後、京都市立堀川高校音楽課程、東京藝術大学にて学ぶ。
1956年、大学在学中に毎日音楽コンクール作曲・室内楽部門第2位、翌1957年には同・管弦楽部門第1位を受賞。
 東京音楽大学、ヤマハバンドディレクター養成コース、合歓音楽院において教鞭をとる。
1971年、岐阜大学教育学部音楽科助教授に就任。
1980年、岐阜大学教育学部音楽科教授。
1983年、愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻教授。
1996年、岐阜大学大学院教育学研究科教授。
1999年、愛知県立芸術大学名誉教授。また、日本管打・吹奏楽学会顧問、日本バンドクリニック委員会代表、岐阜大学管弦楽団指揮者、ナゴヤ・ディレクターズバンド指揮者などを務めた。

 主な作品として、「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」「ウィンドオーケストラのためのシンフォニック・ヴァリエイション」「吹奏楽のためのバラードI〜Ⅴ」「弦楽オーケストラのためのシンフォニエッタ」ピアノ曲集「瓶の中の風景」などがある。
 全日本吹奏楽コンクール課題曲として、バンドのための楽章「若人の歌」、吹奏楽のための「ディヴェルティメント」「吹奏楽のための寓話」「嗚呼!」の4曲を書いている。

2002年、肺癌で死去。

 死後10年以上経過してから、行進曲「飛翔」と行進曲「銀嶺」が中部吹奏楽コンクールの課題曲として、ピアノ曲「がちょうの行進曲」が英国王立音楽検定(ABRSM)の課題曲として採用される。
 また、広島ウインドオーケストラが2015年に、生誕80年記念「兼田敏プロジェクト」と銘打ちオール兼田敏作曲の演奏会を行ったり、2022年にオオサカ・シオン・ウインド・オーケストラが兼田敏と保科洋(東京藝大の同期で親友)の作品によるプログラムで定期演奏会を行ったりするなど、今も多くの作品が演奏されている。